かかりのじかん ①

先生になって2年目から

ぼくは「係」にこそ可能性があるような気がしていました。

可能性というと大げさかも知れませんが、

たぶん、働くって言うこと、

仕事するって言うことって

実際にやってみて

自己実現だなぁって思ったんです。

もっというと人の間で、

発揮される

「自分らしさ」に気づける

アイテムだと思ったんです。

当初は「会社」といって、

できあがった係に

クラスを維持していくのに必要な仕事を受け持ってもらって、

そこに付随して

自分たちがクラスでしたいことを考えるようにしていました。

(会社なので『倒産』というイベントも作っていました)

が、試行錯誤をしていくウチに、

ルーティーンな仕事は仕事として別にやってもらい

もう1つ係をつくって

もっと彼らの独創性にまかせよう、と思い始めました。

そこで、お手伝いのように日常必要な仕事は

「一人一係」として設定し、

全く自由に係を作ってもらうことにしました。

人数も内容も自由。

ただルールが二つあります。

冒頭にそのルールだけ説明します。

ルールは二つ。

1つ目は、このクラスを幸せにすることをしてください。

2つ目は、自分を幸せにすることをしてください。

後は何をしても結構です。

このルールでスタートします。

「どうぞ」

時代が変わってきていることもあり、

最近こそ混乱もないのですが、

導入当初はどこでやっても大混乱でした。

その話をお伝えしたいと思います。

まず教室中が騒然とします。

そんなことしたことがないからです。

正解をボクに聞いたり

友達に確認したり。

その中で

「幸せって何だ」

っていう話になります。

みんながぶつぶつ言っているわけです。

何すれば良いの?

って。

そのうち、やんちゃ、とされている

(あくまでも一方的に決めつけられている状態です)子達が

「そんなことできないよ」

って教室の後ろの方でたまりだして

これ見よがしに騒ぎだします。

彼らは、意外にも

この幸せにするっていうことを

「自己犠牲」とか

「他者貢献」って思っています。

そうなんです。

とっても優しいんですね。

例えば、兄弟で末っ子で、

上からの暴力を甘んじて受けているとか、

下の子の要領の良さに辟易しているとか、

状況こそ違うんですが、

お母さんが喜ぶならぶたれても我慢しよう、

っていうスタンスに立っているんです。

優しさ、という名前の自己犠牲なんです。

なので、これ以上優しくすると

自分のバランスが取れなくなって苦しくなるんです。

だからキリのいいところで

やんちゃなことをしてバランスを保っているのです。

その一方で、颯爽と仕事を始める子ども達も現れます。

その子達は、決まって掃除をしたり本を片付けたりします。

でも、よく見ていると、

明らかに皆から見える場所ばかりです。

誰もいない校庭の隅や掃除用具の裏などには目もくれません。

この子達は「優秀」だとされる子達です。

どのクラスにも見受けられる

勉強が出来るリーダー性のある子です。

厳密に言うと優秀なのでは無く、

みんなが望んでいることをいち早く察知して

適切に対応しているのです。

言ってみれば、すじがね入りの頑張り屋さんです。

その姿に周りの子がざわつきます。

特に、後ろでたまっている、やんちゃとされる子達は

「ちぇっ、掃除することが

みんなを幸せにすることなのかよ」

と攻撃的な眼差しを向けます。

今までやって来たことと

他の先生が言ってることと同じじゃんか、

とくだらない、とばかりにしらけムードになります。

そんなとき、ぼくは、

そういったやんちゃとされる子達をしからず、

掃除をしている子を呼びつけます。

そして何をしているの? と尋ねます。

「はいっ、掃除です」

たいていそういう子は背筋がピン、とのびています。

「それはみんなのことを幸せにするの?」

 ぼくが尋ねると嬉しそうに答えます。

「はいっ、だって教室がキレイになったら

みんなが幸せだと思うんです」

たいていそんなようなことを答えます。

他の先生だったら「偉いね」ってほめるところです。

実際には何度となく褒めてもらってきたことでしょう。

中にはみんなの手を止めて、

教室に響き渡る声で

「~さんが掃除しているぞ」

っていう先生もいるほどです。

でも、ぼくはほめません。

その子は調子の狂ったような顔になり

だんだんそわそわしてきます。

「それはみんなのことをあわせにすることは分かったよ。

 じゃあ、それは自分の事は幸せにするの?」

 

 すると、びっくりしたような顔をします。

 答えないのでぼくはもう一度聞きます。

 

 すると突然泣き出します。

 そうなのです。

 いつも自分を犠牲にして

 誰かを幸せにすることばかり考えているため、

 自分が本当にしたいことや、

 それが自分を幸せにするのかどうかなんて

 ちっとも考えていなかったのです。

 ぼくの問いかけが、あまりにも真っ直ぐすぎて、

 我慢していた色々なものがこみ上げてきてしまったんです。


(その2に続く ↓ )

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