「やり方」ではなく「あり方」の時代
ばななです。
新生「よかよか学院」スタートしました。
昨年、1年、ずっと
組織のリーダーだったんですが
まったく機能しなくって(^o^)
でね、あるとき、写真見ててね。
この写真、2015年。
これは2017年。
全部、うしろやんけ(^_^;)。
だから、ぼくの講座はぼくが前に出るの、午前中だけ。
午後はたいてい後ろにいる。
そして、みんなの変容をただ見つめている。
この辺にいる。
なぜなら、変容とは気づきだから。
気づきは、その人の体験の中からしか生まれないから。
ぼくが前にいても、後ろにいても同じだから。
数年前、そんなぼくを「いくじなし」といったやつがいた。
男なんだから、前を走れ、と。
いいや、違う。
それでいいんだ。
それがぼくのあり方だから(^o^)
今回、運営面を理事長及び、昨年までの立候補したスタッフに任せ、
ぼくは理念担当になった。
何かあったら全部かぶる。
でも、前には出ない。
今日もみんながグループでやりとりをしていた。
かみさんのスマホは、たくさんのメッセージであふれている。
しみじみ思った。
よかよかを始めて4年。
よかよか学院の午前中が終わったんだ。
とこにでもいく、誰にも話す。
現場主義なので、出会った人のニーズをくみ取りながら。
時代が「やり方」から「あり方」の時代になったこと。
あり方からの自己表現しか通用しなくなっていく、ということを。
そして、信頼しているスタッフにやり方はまかせる。
それがぼくのあり方だからだ。
AIの普及やロボット化、地球の環境の激変や
人口減などで
日本はオリンピックを境に大きく変わると思っている。
たぶん、学校に行かなくってもすむ時代になると思っている。
ふとうこうなど過去の遺物になるでしょう。
だって、すべてネットワークや情報通信機器の活用ですんでしまう。
もう、近々、自分のデジタル機器を学校に持ってくるようになってしまう。
そうしたら、ものによってはわざわざ学校に来る必要がなくなるから。
みんなとリアルな体験をしたい人がしたいときだけ学校に来るとかね。
運動会だけやりに来る、っていう感じでしょうか。
そして、わたしたちの仕事の多くは、ロボットやAIに取って代わられてしまう。
例えば、先生も学習指導の半分は、プログラミングソフトがやってしまうだろう。
でも、人工知能やロボットでは決して出来ないことがある。
その一つが 「それでいい」って存在の全てを承認することだ。
もっともそれができる人がいる。
お母さんだ。
お母さんの時代がくるとぼくは思っている。
お母さんが幅を利かすというより、
お母さん的なものの見方が大切だという意味だ。
お母さんという役割をすると、
結局、我が子に勝てないことに気づく。
思い通りに全くならない。
そのときの諦め。
どちらでもいい、っていう感覚。
それが「それでいい」だ。
たぶん、これ以上愛に満ち表現はないんじゃないだろうか。
だから、ぼくらのスタッフの多くはお母さんだ。
お母さんを経験し、
諦めて、
相手のあり方を尊重することが、一番相手を大切にすることだと知った人だ。
そして、相手を尊重するために、
自分を尊重するということに気づいた人たちが集う場で
なんとなしにやってしまうこと
それがあり方だ。
たぶん、これからは、
がまんしてやってきたことはみんなロボットやAIがやってしまう。
だから、好きなことをしよう、っていいだす。
でも、好きなことって意外と
得意なことだったり
褒めてもらえることだったりする。
あり方ってすでにやってるんだ。
探すことでも磨くことでもない、
好きなこととか超越しているとぼくは思っている。
そしてあり方に気づくには、
コミュニティーの中に入ることが早道だ。
これからは、あり方、そしてコミュニティーの時代だとぼくは思っている。
よかよかの後半戦、ワークが始まった。
すごいことになると思う。
でも見守って、ときにフォローしたり、サポートしたり。
すべてを引き受ける覚悟はできている。
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